「リバタリアニズム」という語の意味について。


リバタリアニズム - Wikipedia
↑を参照のこと。



…という訳にもいかないようである。
最近twitterなどで、
リバタリアニズムアナーキズムの区別がつかない」とか、
そういう類のツイートが多くなってきたように思う。*1
以前も述べたように、*2
リバタリアンを厳密に定義することは難しいと言わざるを得ない。


ただ一般にリバタリアンと呼ばれる思想家を大まかに分類していくことで、
リバタリアニズム」という語がどのような位置づけを持つのかについて、
簡単なスケッチは可能だろうと思う。


先ず日本のリバタリアニズム研究の第一人者である森村進氏の分類からみていこう。
彼の分類では政府についてどのくらいの規模を許容するかによって、
3つに分類している。

古典的自由主義は最低限の富の再分配は許容する立場である。
古典的自由主義にはハイエクやM・フリードマン、エプステインらが含まれる。
最小国家論は政府の役割を財産権の保護に限定する考えである。
最小国家論者としてはノージックが挙げられる。
無政府資本主義は政府の独占的な地位を認めない。*3
無政府資本主義者はD・フリードマン、ロスバードが挙げられる。


但しリバタリアニズムには所謂「左派リバタリアニズム」というものも存在する。
よって(1)は以下のように修正される。

森村氏の解説によれば左派リバタリアニズムは、

自分の身体以外の財産は本来社会全体のもので、それは平等主義的な正義の原理に従って分配されるべきだ
森村進『自由はどこまで可能か』「1.リバタリアニズムとは何か」

というものである。
代表的な論者としてはヒレル・スタイナーやマイケル・オーツカが挙げられる。


(2)の定義に従うなら、
リバタリアニズム全体の共通項は"身体所有権の絶対性・不可侵性"のみになるだろう。
しかし一般的に使用される「リバタリアニズム」はそれ以上の意味を含んでいることが、
圧倒的に多い。


また一般に左派リバタリアニズムと呼ばれているけれども、
身体所有権の絶対性・不可侵性も超えた思想も「左派リバタリアニズム」と呼ばれることがある。
それはリバタリアニズムという語が、

と狭く解釈されることもあるために生じた現象である。
左派アナーキズムもアナルコ・キャピタリズムも、
唯一の政府の存在は認めないという点では一致しているため、

といえるが、
左派アナーキズムと無政府資本主義とでは、
政府の存在を拒絶する理由が全く異なる。
しかし(3)を(4)に適用して、

としてしまうとアナーキズムリバタリアニズムとの違いがよく判らなくなってしまう。


その為便宜上リバタリアニズムという語については、
(1)の意味で解釈しておくことが有用であろう。
実際そのように使われることが圧倒的に多い。


(1)の意味でリバタリアニズムを解しておく方がよいもう一つの理由は、
リバタリアニズムが優れて実践的要素の強い思想だからである。
キムリッカも指摘しているように独自の政党をもち("功利主義党"があるだろうか?)、*4
またCato InstituteMises Instituteといった、
リバタリアニズムを推進するシンクタンクもある。
特にCato Instituteは規模の面からいっても無視しえない。
Cato Instituteのスタンスも加味するならば、
尚のこと(1)の定義を用いるのが適切であるように思われる。


最後に参考文献をいくつか挙げておきたい。

リバタリアニズム読本

リバタリアニズム読本

リバタリアンを標榜する思想家について概観するのに便利である。
自由の正当性―古典的自由主義とリバタリアニズム

自由の正当性―古典的自由主義とリバタリアニズム

リバタリアン内部の方法論的な整理に役立つ。
リバタリアニズムの多面体

リバタリアニズムの多面体

↑『リバタリアニズム読本』では触れていなかった共和主義的リバタリアニズムや、
ハイエク共同体主義者との違いについての整理があり、
一般的に触れられるレベル以上のリバタリアニズムの広がりをつかむのに適切だろう。
id:fuyu-sha氏の書評も参照されたい。